はじめての出会いは、
妻のおなかの中に娘がいる時でした。
式を挙げることもせず、
単に籍を入れただけで何の報告もしなかった僕に、
なにかを詮索するでもなく、
ただ、ただ、お酒を勧めてくれました。
義理の弟の結婚式の時には
80歳をゆうに超えた体で、はるばる名古屋を訪れ、
披露宴で得意の歌を披露してくれました。
唐突な歌のはじまりに、
驚きの表情を見せた列席者もいましたが、
その想いは、間違いなく若い2人の心に届いたと思います。
もう長くはないと知ったのは、昨年の春。
ちょうど東日本大震災の前後でした。
妻と2人の孫を引き連れて、
富士山の見える丘の上の病院に向かいました。
そこには、心配を掛けまいと、
元気に振る舞う祖父の姿がありました。
「私にとっては、大切なおじいちゃんだから」。
命が危ないと知った時、妻がぽつりとつぶやきました。
ただ、20年近く前に祖父を亡くしている僕にとっても、
義理の祖父は、紛れもなく「大切なおじいちゃん」でした。
昨年末、そんな祖父が、静かに息を引き取りました。
祭壇の前で手を合わせ、遺影に目をやると、
僕の知らない若々しい祖父が優しくほほ笑んでいました。
おじいちゃん、短い間でしたが、本当にありがとう。
最愛の孫とひ孫は、僕が責任を持って幸せにしていきます。
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子どもの頃は、煙たい存在の親や祖父母も、自分が年を取ると、その存在の大きさや温かさに気付く。ぼくは後悔ばかりです。
きっと子や孫のことを安心して、極楽へ行かれたと思います。