2012年01月13日

大切なひと。


はじめての出会いは、
妻のおなかの中に娘がいる時でした。

式を挙げることもせず、
単に籍を入れただけで何の報告もしなかった僕に、
なにかを詮索するでもなく、
ただ、ただ、お酒を勧めてくれました。

義理の弟の結婚式の時には
80歳をゆうに超えた体で、はるばる名古屋を訪れ、
披露宴で得意の歌を披露してくれました。

唐突な歌のはじまりに、
驚きの表情を見せた列席者もいましたが、
その想いは、間違いなく若い2人の心に届いたと思います。

もう長くはないと知ったのは、昨年の春。
ちょうど東日本大震災の前後でした。
妻と2人の孫を引き連れて、
富士山の見える丘の上の病院に向かいました。

そこには、心配を掛けまいと、
元気に振る舞う祖父の姿がありました。

「私にとっては、大切なおじいちゃんだから」。

命が危ないと知った時、妻がぽつりとつぶやきました。
ただ、20年近く前に祖父を亡くしている僕にとっても、
義理の祖父は、紛れもなく「大切なおじいちゃん」でした。

昨年末、そんな祖父が、静かに息を引き取りました。

祭壇の前で手を合わせ、遺影に目をやると、
僕の知らない若々しい祖父が優しくほほ笑んでいました。

おじいちゃん、短い間でしたが、本当にありがとう。
最愛の孫とひ孫は、僕が責任を持って幸せにしていきます。


posted by もっぴ at 13:06| Comment(2) | TrackBack(0) | ライター日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
いいおじいさんだったんでしょうね。

子どもの頃は、煙たい存在の親や祖父母も、自分が年を取ると、その存在の大きさや温かさに気付く。ぼくは後悔ばかりです。

きっと子や孫のことを安心して、極楽へ行かれたと思います。
Posted by ぐるぐる at 2012年01月16日 10:18
ありがとうございます。そうですね。なんだか年を取るごとに、周りの人のありがたさを痛感します。
Posted by もっぴ at 2012年01月20日 09:53
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