最近「死刑」を取り巻く話題が世間を賑わせています。
僕は学生時代、刑法を勉強していました。大学入学当初は、経済学を志していましたが、いつの間にか法律学に興味を持ち、刑法を学ぶゼミに進みました。
刑法といえば、正直、犯罪を犯した人以外は実生活において何の役にも立ちません。今考えれば、商法や民法の方がよっぽど実用的で有用だったのに…と思ったりもします。
ただ、今になってみると、いろんなことを勉強できたな〜と感じます。特にサスペンスとか、犯罪のニュースなどはとっても興味深く見ることができますね。「未必の故意」とか、「推定無罪」とか、「疑わしきは罰せず」とか…。
最近、世間を賑わす事件が多発しています。また、1人の殺人で死刑判決が出たり、時効が過ぎた後に自首した人の民事裁判に判決が出たり、話題性の高い裁判も多く見られます。
刑法は本来、「罪を犯した人を罰する」ことと同時に、「犯罪人が不当に罰せられることを抑止する」という、2つの側面があると感じます。ちゃんとした証拠がないと罪に問えなかったり、法律で定められている以上に重い罪に問えなかったり…。それはきっと、政治権力や警察権力によって不当に逮捕されたり、刑罰や拷問などを課せられることがないように、個人の人権が侵害されることを防止するためだったと思うんです。
ただ、最近の犯罪を見ると、明らかに犯罪を犯した人たちが、刑法の限界を利用するような考え方をしているとしか思えないケースが多いように思えます。善良な市民の人権を守るための法の壁が、えてして、犯罪者を守るための法の壁になっているように見えてならないのです。もちろん、法律的な観点から言えば、犯罪を犯した人にだって人権はあるわけなんですが…。
「死刑」を望む人がいます。一方で、限りなく冤罪に近いと思われる「死刑」に苦しむ人もいます。
1人を殺して「死刑」の判決を下した裁判は、ある意味で画期的だったと思います。ただ、裁判官の恣意的な判断で「死刑」or「無期懲役」を決定するような世の中になってきたら、今後、恐ろしい事態を招くことになると思います。
裁判員制度導入も間近に迫っています。そろそろ、「刑法」を時代に即した形に見直す時期が来ているのではないか。そんな風に痛感する今日この頃です。
…ちょっと真面目すぎて、息切れ気味です。
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