一応、大学時代、刑法のゼミに所属していたこともあり、
この手のトピックは注目してみていることが多いんですが、
それにしても、今回は死刑が確定したとはいえ、10年以上前に勉強した「永山基準」が、これだけ時代の変化が激しい世の中で今なお幅を効かせているなんて、
一体、どうなっているんだろう、なんて思ってしまいます。
判例を基準にして、刑の不均衡をなくす意味合いがあるのは解りますが、
前例にならって判決を下すだけなら、裁判官はそもそも必要ないのでは?
また、これも学生時代にしこたまディベートしましたが、
なんで日本は、これだけ「無期懲役」と「死刑」との差が大きいのに、
もっと長期の有期刑や、終身刑の創設について熱心に議論しないんでしょうか。
…僕も、人の親になったからなおさらですが、なんだか、本当にいろんなことを考えさせられる事件です。
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ま、法律や判例は杓子定規に当てはめられないからこそ、難しいんだし、裁判官も存在意義があるんでしょうね。
ぼく自身は、厳罰化やむなし、と思います。個人の犯人の人生はひとまず横に置き、社会として凶悪犯罪が生じないよう、仕組みを作っていくことが大切ですね。
当時は、罪刑法定主義、罪刑法定主義…なんて、念仏のように唱えておりました(笑)
厳罰化、もちろん賛成です! 日本は、加害者の人権をことらさに主張する一方、ずっと被害者やその家族の人権をふみにじってきたと思います。
今後は、より被害者の人権にスポットを当てた判決が増えれば、と思います。その辺のバランスを、裁判員制度がうまく担ってくれるといいなぁ〜。